教育とは自分の教育、そして恩返し。

今日もみんなよく勉強している。
部活動三昧の中学生時代、自分がこんなに勉強していたかと思うと自信がない。ただ、中学時代は学校で寝たりしなかったし、ノートは年がら年中とらされたし、小さなことでも人前ではっきりくっきり叱られ、赤っ恥をかくことも結構あった。

そういう「自分一人 対 周囲」という逃れようのない現実に時折りさらされて、自分の身を守る術、友人間の問題を超える配慮、目上の人に対する言葉遣い、周りに合わせるタイミング、、、良い意味での世渡りを自分なりに身に付けていった。
という背景があるからか、家でやいのやいの言われなくても、いざテスト前の勉強というものについても自分のやり方、というものを構築していたように思う。

ところが、今は先に述べたような環境はガラリと変わって、手取り足取りの時代であることは否定できない。
1つ教えると、2つ目も必要。1教えたら5くらいはわかるのでは、と思ったら大間違い。本当に「ひとつひとつ」とはこのことだ。

がっつり叱れない分だけ、一発勝負ではなく、時間(繰り返し)勝負、となる。根負けしたほうが敗北者。保護者の方も同じような『何度言っても、、、』とため息をついておられるに違いない。

が、このまま疲れていても仕方がない。
良い意味であきらめが肝心。今の時代に合った、今の子に合った、今の環境に合った、そんなやり方で効果を出すべきだ。

それに、自分たちとは違うからこそ、またこちら側の許容能力が拡がるというものではないか。いくつになっても勉強。学ぶことは人生の根幹。学ぶことを忘れた大人の背中を子供たちは怖いほど見ている。

話は横道にそれたが、親心であるにしても、
『せめて○○点くらいは、、、』
『毎回、毎回、何度言ったら、、』
『どうして出来ないの?!』
というご家庭での言葉。目標を与えようと励ますことは決して悪いことではない。ただ、その「言い方」だ。

感情で怒っちゃダメ!なのだ。
ここはひとつ、大人の人生術を駆使していただきたい。
「見たか、子供たちよ!」とこれまで越えてきた大小様々な苦難で身に付けた力量を見せつけてやる時だ。

となると、過去をひっぱり出してきて叱るような口調、あきれたような口調は、大人の力量発揮としては、あまりカッコいいものではない。
それは、子供たちにとって「ウザい」ものでしかなくなる。まして「自分の頃は、、、」なんてものは、子供たちは全く聞く気なし!
負の感情を抱えた(抱えているように見えないかもしれないが)少年少女は、もはや反抗して見返してやるという空気感ではなく、良い意味でも悪い意味でも執着しないのだ。

…ということを念頭に配慮しつつ、、、
時代が変わろうと、年齢を重ねようと変わらないこと、を確認してみる。
「認めてもらえる喜び」
これが一番なのではないか。
私事ではあるが、こんな歳になっても、先日、他人からすればどーでもいいことを褒められて、ふふふ、と嬉しくなってやる気満々の一日があった。年齢など時代などやはり関係ないのだ。

社会に出れば、現実は非常にシビアだ。結果が判断の材料、頑張るのは当たり前。そんな現実社会では、子供の頃に「認められた」経験が少ない子は、根拠のない自信が薄く、逆境に弱い。「どうせ」という思考回路にいとも簡単に進んで侵入する。やる気がない若者、すぐに退職する若者、言われたことしかしない若者、打たれ弱い若者、、世間ではそんな風に評価されているが、そうでない絶賛活躍中の若者もいるのだ。

それは、時代など関係なく「認められている自分」がベースにあるからだと感じる。自分にはきっと超えられる、というのが彼らが壁にぶつかったときのナチュラルな思考回路。

今、こうやって定期テストの勉強、日々の宿題、クラブ活動、と褒めてやれる、認めてやれるお宝はゴロゴロ転がっているのだ。その子の今の身の丈に合った評価は絶対にある。高い山から見るから、小さくともキラリと光るお宝が発見出来ないのだ。

それを見逃さずに褒め、自信をもたせて次の目標を明るく与える。
イライラとさせる思春期の子供たちだが、大きな視野で見れば気持ちの持ちようも変わる。
さらに、耳の痛いことに「子供は自分の日々の鏡である」とよく言われるが、そう受け止めれば自分のやりようによって変わってくれるということだから、逆に思春期教育もそこまで難しい事ではなくなる。
ぜひ、大人の心意気と堂々たる背中を子供たちに見せていただきたい。

そして、、、『自分が頑張ったから』と思ってこれまで生きてきた自分自身も、こうやって生徒指導をしていると、あの時、自分の親が、あの先生が、生意気な思春期真っ盛りの自分をぐっとこらえ、褒めどころを必死で探し、認め鍛えてくれたおかげだったのだと、ふと目が潤む。
はらわたを煮えくり返らせてしまった日も多々あったに違いない、、、。(本当にごめんなさい。)

受けた恩恵は次の世代に返す。それが親孝行、先生孝行、育ててくれた大人たちへの恩返し。そんな連鎖を自分自身は断ち切らない。
そんな潔い気持ちで、自分を時々リセットしてみれば、何だか目の前が開けてくる。自分が存在している価値を感じ、何者かに認められる嬉しさがふと心に湧いてくる気がするのである。