「一所」懸命。

テスト前でありながら、「今回のテストの点数を一人一人予想出来るよ」と言ったら、みんなドン引きする。
「知りたい人は聞きにおいで」
とやさ~しく言っても誰も来ない。

まるで占い師か予言者を見るように「こわい、こわい」と言うばかりだ。
でもそれは彼らのただのあいづちのようなコメントであることを知っている。
本当は、望むような美しい点数をとれるほど勉強していない、集中していない、そして本気になっていないことを、自分自身がよーく自覚していることをズバリ言い当てられるがこわいのだ。

結局、一生懸命やらないと、時間をかけないと、たくさん書かないと、繰り返し解かないと、点数が上がらないのは誰もが百も承知。
それが大前提であるがゆえに、一人一人の勉強の様子、表情に表れる緊迫感を見ていれば、まだ受けてもいないテストの点数の予想など朝飯前なのだ。

「誰もが望む美しい点数」をとってくる生徒の補習中の姿は、
・恐ろしく書きまくる
・解けてもしつこく繰り返す
・よそ見をしない
・時計を見ていない
・手が止まる時間が異様に少ない
・休み時間と勉強時間の切り換えがリアル
という共通点を持っている。

要するに「一心不乱」にチャレンジしている。こちらも決して邪魔をすまい、と忍び足で横を通り過ぎる。ちょっとプリントに触れてしまって邪魔をしようものなら、心から申し訳なく思い、恐縮する。その緊迫感は大人をも圧倒するのだ。

スポーツと同じように、天性の才能に恵まれた人もいる。スポーツと勉強を別物だととらえている人は多いが、それは違う。
勉強だって同じだ。何も教えていないのに、少しきっかけを教えただけで本質を理解し、全体像をとらえてしまう能力のある子も確かに存在する。
それは、スポーツでずば抜けた良質な筋肉と運動神経とセンスを持ち合わせ、プロになる人が存在するのと同じで、勉強にもそれがあるということだ。
とはいえ、ごく一部の人のこと。

チャンスは全員に平等にある。
努力をするチャンス、のことだ。
その「努力をするチャンス」をスルーするか、しないか、が徐々に差を広げていく。

プロになっても努力をしないプロは、そのうちアマチュアにも敗ける日が来るだろう。(まぁ、手抜きをしなかったからこそプロの世界へ入れた人たちだから、そもそも努力をしない人はいないのだが…。)

勉強も同じだと声を大にして言いたい。
定期テストだって同じ回数ある。
友人と同じ学校に通い、同じ授業を受け、同じプリントをもらい、同じ宿題をし、同じ塾に通って、同じ補習を受け、同じ先生に教えてもらっていれば、なおさら不平等な条件は見つからない。

それなのに、なぜ差が生まれてしまうのか。

答えは、上記の「誰もが望む美しい点数」をとってくる生徒の共通点に戻る。
差は「生まれる」のではなく、自分で「生み出している」ということに気付いてほしい。

さて、ここで傷ついた人たち、気を取りなおして落ち着いて考えよう。
成績を上げたい、と望む人は、今一度自身を振り返ってみよう。
子供も大人も、だ。
勉強は甘くない。
勉強がゲームのように甘く楽しければ、みんな絶対に勉強好きになるはずだ。ただし、努力を知らない大人になるオマケ付きで、ね。

一生懸命とは、そもそも「一所」懸命と書く。
テスト前という「一所」。そこに懸命に力を注ぐ。やる気があるとか、ないとか、そんな甘えたことじゃない。駄々をこねている人に、ご褒美があるような世界はこの世に存在しない。やらなければ望みは叶わない、ただそれだけ。

ただそれだけのことと闘った人だけに「誰もが望む点数」がやってくるだけだ。
あまりに簡単な論理のため、書店で参考書を買いあさって放置する人や、勉強の手法探しに明け暮れる人はがっかりするだろう。ごめんよ。

本当に望みつづけて「一所懸命」行動したことは、、、必ず、叶う。
これもまたこの世の現実である。
そんな現実の方が誰もに平等で良くないか?