「やめない」ということ。

今年も中3生が無事に希望の私立高校に全員合格を果たした。
全国区の超難関校から将来を夢見て選んだ学校、とても追いつかないと思っていた学校、みんながそれぞれの夢を形にした。

保護者の方はもちろん嬉しさと安心感と深い愛情で胸がいっぱいになり、涙が出るほど、、、いや実際泣いてしまった方もいたことだろう。
しかし、それとは違うところに私たちの感情は生まれている。
鐘なのか、金づちなのか、もっときれいな木琴の連打なのか、よくわからないもので心が強く叩かれ鳴り響き、熱さと痛みで崩れ落ちてしまう。

そして、同時に走馬灯のように、生徒達との出会いから今までの記憶のフィルムが一瞬にして頭にぐるぐる回る。

そのフィルムに映し出されるのは、だいたいが苦労した時のことだ。
この子をやる気にさせるにはどうしたらいいだろう、この子にちゃんと宿題をさせるにはどんな声掛けが必要だろう、クラブに熱中していて居眠りをする子をどうやって起こすのが効果的か、好きな子が出来て勉強なんかやる気が失せている子、友達ともめて勉強どころではない子、、、、こんな状態の時にどうやって勉強に目を向けさせたらいいのか。
考えて、考えて、思いを伝えては裏切られ、押しては引き、この戦いの繰り返しを数年続ける。見捨ててはいけない、ひたすら信じる…。

思春期は一筋縄ではいかない。それは誰しもが通ってきた道であり、他人に迷惑も心配も手間もたくさんかけて大人への階段を上がってきた時代。
自分自身もそうやってたくさんの大人の「忍耐」に助けられてここまで来た。
だからこそ、こうして生徒たちに根負けしないように、お腹に力をぐっと入れて、「忍耐」を自分に言い聞かせる。

その自分との闘いが結実するのが「受験」。つまり、ただ嬉しいのではなく、努力がかなった瞬間でもある。自分のやってきたことが間違っていなかった、と生徒たちが言ってくれたような張りつめた数年から解き放たれる瞬間。だから言葉にはならない。適格な言葉はこれからもきっと思いつかない。

こうして受験を迎えるたびに思うことはいつもたったひとつだ。
大人も「子育て」という人生を生きている真っ最中。それは自分の人生。
子供は大人になるための人生を生きている真っ最中。それも自分の人生。
それぞれが己の人生を必死で生きることが最も大切なことだということ。

決して「うちの子は、、、」と子供のことを愚痴ってはいけない。
その子を育てる人生を送っているのは自分。
頑張るのは自分なのだ。まだ人生は終わっちゃいない。
大人は成長しなくていいなんて許しを誰も与えてはいない。
「うちの親は、、、」と親のことを愚痴ってはいけない。
親の人生を生きているわけではない。
頑張るのは自分なのだ。人生はこれからなのだ。
何でも大人がやってくれるなんて甘えられたら困る。みんな必死だ。

相手に何かを求めたりしてもうまくはいかない。
自分が必死に取り組む生活、日常、それがにじみ出る背中、そのオーラが子供を変えていく。親を変えていく。決して小手先ではない。

『自分が変われば相手が変わる。』

これは真実。相手を変えることなんかできない。自分が自分と必死で闘うことしかない。この勝負に大人も子供も関係ない。

我が子が自分の思い通りにならない時、感情的になったり、思い悩むことより、自分自身を振り返り、自分の人生を、生活を、時間を、足元をしっかりと踏み固めることが一番。

生徒指導でも同じことが言える。「言うことを聞いてくれない」ではなく、「聞かせられない自分」の問題点を考えて改善していく。そうすると生徒たちにはその努力が必ず通じる。いつか。いつか、だ。

だから、大人も子供も紆余曲折、浮き沈みがあろうと、その歩みを『決してやめない』ことだ。そして『待つ』ことだ。

必ず結実する日が来る。そう思えず右往左往した場合はゴールにはたどり着かない。順風満帆な人生、順風満帆な子育て、順風満帆な思春期、そんな人生どこにあるというのか。

『決してやめない』そうすれば必ずゴールにたどり着く。

毎年、合格の知らせをうける梅のつぼみが膨らみ始める頃、それを思い、気持ちを新たにしている。
人のせいにも子供のせいにもしない。十分年齢を重ねた大人でも、まだまだ成長すべきだと思うから。それが人間同士の礼儀だと思うから。